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ひまわりブログblog

ひまわり店主、半生の気づき(執筆中)

2024.9.22

▼常識に背を向ける「てもみ処ひまわり」

 

ひまわりの店主が半生で得た気づきを、誤解を恐れずに言えば、「一般常識の逆の見解の方が真実に近い」ということです。「世間の常識」というのは、単に多数派の意見か、あるいは「覇権争いの勝利者が、自らに都合の良いルールに改ざんした場合」がほとんどで、別段それが「正しい訳ではない」というのが、この世界の「正しい見方」となります。

 

真理を求める者は、長いものに巻かれず「犀の一角のようにただ独りで歩め」と、釈迦も言っています。世の聖者を敬い、独立独歩の道を歩む。それが「てもみ処ひまわりの方向性」です。

 

▼本当に大切なものは目に見えない

はじめに「桜の木」を想像してください。皆さまは「桜の木にとって一番大切なもの」は何だと思いますか? 多くの方が、可憐に咲き誇る薄桃色の花々に、心を奪われると思います。しかし、桜にとっての一番は、美しい花弁ではありません。大切なのは、普段私たちが気にも留めない場所に潜む、地中深くの「根っ子」です。

 

仮に、桜の木が切り倒されたとします。桜は切り株の状態にあっても「根本」さえ残っていれば、幹を含めて、全ての組織が再生可能です。しかし、根を掘り起こせば絶命します。このことから分かるように、本当に大切なものは目に見えない、私たちが「気にも留めない場所に潜んでいる」のです。

 

人も桜と同様です。本当に大切な、ただ1つ。「生命の根源」を理解できれば、他の全ては切り捨てても問題がなく、返って「自己の本性」は明らかとなり、生命力に溢れる、迷いのない人生を送れます。

 

「東洋の哲学」というのは、この「木の根元」のようなものです。世界の全てを創造可能な「一なる源」、根源的な存在を知ることにあります。

 

「東洋の医学」というのは、この「木の根元」のようなものです。健康の全てを包括する「根源的な生命エネルギー」でもって、あらゆる体調不良に対処します。

 

▼東洋と西洋、相反する真理

 

ひまわりの施術理論と実践は【純粋な東洋哲学・医学】を基盤とします。それは「世間の常識とは真逆の主張」を意味します。なぜなら「全を一に統合する」東洋の哲学・医学は、世間の常識である「一を全に分離する」西洋の哲学・医学とは「相反する性質を示す」からです。

世間の多数派の見解は【西洋哲学】です。その本質は「獲得」にあります。他のキーワードは「分離」による二元性・相対論。「理性」「文明」「科学」。「自我」による「思考」。

 

哲学の基盤は、ソクラテスの「無知の知」に始まり、「知らない」ゆえ、学問的な探究は終わりなく続きます。「アキレスと亀」の逸話のように、真理との距離を縮めるが、決して到達することはなく、歩みを止めることはない。文明的で進歩的、科学的な真理の探究は、際限なく膨張し、分離し、細分化されます。それらの知識は、言語・数字・記号でもって整理されます。

 

理性に従うため「客観的」に、物質次元ゆえ「外面的」に、樹木から枝葉が伸びて分かれるように「遠心的」に力が働く。前述した7つのキーワードを含む、最も身近な例は「インターネット」。拡張と分離を繰り返す「西洋的探究」に、終わりはない。

一方、世間の少数派は【東洋哲学】です。その本質は「放棄」にあります。他のキーワードは「統合」による一元性・絶対論。「野性」「自然」「霊性」。「無我」による「気づき」。

 

真理の探究は、あらゆる物質的な繋がりを「放棄」し、精神的な想念も含めて「放棄」し、人間の証である自我をも「放棄」します。自我を失っても、なお世界に存在する、唯一の実在こそ「絶対の真理」です。

 

原始的で霊的な真理の探究は、理性を超越しているため「主観的」に、精神次元ゆえ「内面的」に、樹木から枝葉を切り落とすように「求心的」に力が働く。あらゆるものを放棄すれば、世界の全ては統合され「ただ1つのもの」へと集約される。世界の根源たる「純粋意識」の存在に気づき、そこに留まる(合一する)。それゆえ「東洋的探究」には、終わりがある。

 

▼世界が反転する聖者の境地

 

上記にて言及する「東洋哲学」は、世にいう「聖者の境地」です。聖者の境地は鮮やかなほどに、世間一般のモノの見方とは「正反対」です。以下は、最古の仏教聖典「スッタニパータ」、ヒンドゥー教の聖典「バガヴァッド・ギータ―」、20世紀最大の覚者「ラマナ・マハルシ」の教えからの一節です。

 

「ある人たちが真理と考えるものを、他の人たちは虚妄と考える」というのが一つの考察であり、「ある人たちが虚妄と考えるものを、他の人たちは真理と考える」というのが、もう一つの考察である。

 

・聖者たちは、ものごとの消滅を安楽と考えるが、これは世間一般の人の見方とは正反対である。一般の人が安楽と見なすものを、聖者は苦しみと見なす。一般の人が苦しみと見なすものを、聖者は安楽と見なす。愚かで迷妄している人には理解し難いであろうが、聖者の正しい見方を理解せよ(原始仏典、二種の観察より)。

 

・あらゆる生物が夜としているときは、物欲を捨てた賢者にとって昼である。あらゆる生物が昼としているときは、見真者にとっては夜である(神の詩より。以下は解説。物質次元で生活している大衆が「真」と見るものは、真理を体得した人にとっては妄想である。般若心経の「遠離一切顛倒夢想」と同義)。

 

・ただ意識だけが存在する(それ以外は虚妄である)。

 

▼意識は2つ存在する(草稿)

 

・個我の意識、神(集合)の意識

 

▼分離から統合「意識の変容」を目的とする

 

・自我と無我、プラスマイナスゼロの地点

 

▼世界の表裏を司る絶対の真理

 

一昔前、一世を風靡した錬金術の漫画に「一は全、全は一」という真理の言葉があります。その出典は「バガヴァッド・ギータ―」にあり、ギーターでは、「物質次元と霊的次元。相対する真理の働き」は「コインの表と裏」のような関係であり表裏一体。結局は「同じもの」とあります。

 

無差別平等の認知は、霊的次元の極みに達した聖者の見地であり、常人の物質・二元の見地から「相対する真理」を「同じ」と見るのは無理筋です。しかし、17世紀の西洋の哲学者であり数学者、合理主義の祖であるルネ・デカルトが「我思う、ゆえに我あり」と発したのは、西洋の合理的思考から、霊的次元の真理(疑うことのできない実在は意識である)に到達した稀有な例だと思います(自我から無我の境地の真理を導く)。また「相対性理論」で有名なアルバート・アインシュタインは「今、現代科学の求めるものと合致する宗教があるとすれば、それば仏教であろう」と述べています。

 

ただし、歴史を顧みるに、理性と霊性、どちらの側面からも真実である「絶対の真理」の発見は、人智を超えた才能を持つ者が、全生涯を探求に捧げて、さらに奇跡のような体験が起こり、生涯に1つ成し得るかどうかの神の所業であり、東大やハーバード大を卒業できる程度の天才や秀才にさえ無縁の話です。

 

芸術では「ミロのヴィーナス」が、獲得と放棄、西洋と東洋、表裏一体の美の本質を備えた「絶対の美」を私たちに教えてくれます。

 

 


 

▼文明、進歩に対する懐疑(草稿)

・ビタミンABC

・科学の進歩で見えてくるもの。科学の進歩で見えなくなるもの。

 

 

▼健康と幸福の根源(執筆中)

ひまわりの店主が、皆様の健康のために伝えたい、ただ1つものは「リラックス」です。リラックスという「ただ1つの知識を体得する」ことによって、健康と幸福、そのどちらの成果も得ることができます。そして、リラックスするための最も有効な手段が、振り幅の大きな「弛緩と緊張」です。その根源は「呼」と「吸」。すなわち「呼吸の理解」を、ただひたすらに深めます。

 

私たちは日頃から呼吸の「呼」を通じて身体を弛め、「吸」を通じて緊張させています。しかし、現代社会はストレス過多、緊張の連続で、呼吸は浅くなりがちで、心身のバランスが取れなくなります。バランスが崩れがちな「弛緩と緊張」。そのバランスを調える最も有効な手段が、呼吸を通じて、緊張と弛緩の「振り幅を大きくする」ことです。

 

店主の瞑想の境地を示す「呼吸法」を、施術を通じて、体験的に理解して頂くことが最大の目的です。施術理論の根底にあるのは「ヨーガ」。人類の文明は5000年前より始まったと言われますが、ヨーガの歴史は文明以前から、日本で言えば「縄文時代」からあります。

縄文土器から力強い「根源的な生命エネルギー」を感じるように、

私たちは、文明以前の歴史から、に人間にとって「根源的なものは何か」学ぶことができます。私たち現代人は、言葉によって世界を分離し、

 

▼ストレスをリラックスへ反転させる呼吸法(草稿)

 

 

 

▼西洋と東洋、医学の違いをリンゴの木に例えると(草稿)

 

 

 

▼虚偽がまかり通る人の世のカラクリ(草稿)

 

・仏教の歴史と神経反射論の共通性

 

 


 

【当店の理解を深めるリンク集】

 

▼ひまわり式コンセプト

リラックスのための拷問

 

▼てもみ処ひまわりの方向性

・同ページ

 

▼水戸黄門に学ぶ人間社会の真理

イラスト付き解説|反射区不要論

 

▼歴史から紐解く足裏健康法

足もみと足ツボの違い|足ツボの本質は信仰心

 

▼結局は血流

大切なのは血流|足もみと脱力のすすめ